2010年5月3日月曜日

僕らが持っているイメージについての質問・回答

■果たして「演劇」において、私たちは何を見ているのだろうか。それは目の前にいる俳優なのか、それとも俳優が語る物語なのか。確かに、どちらかを選ぶことはできない。演劇の美学上の問題だけであれば、これは演劇の失墜だとか、演劇の死だとか言って、演劇人は早々に映画やアニメの製作に取り組めば良いのである。

だが、私たちが「劇場」という生臭い場所で未だにこうして戦い続けているのには、「ベッドタウン」という問題がひとつあるからじゃないかと思う。

画一化された「個性」と、どこにでもあるチェーン店。(進学や就職、友人関係などで)何かの拍子で「外界」に触れた時、私たちはあまりに自分が住んでいるところと外界の様相が違うことに驚いてしまう。

テレビが、インターネットが、マクドナルドが……自分が「メディア」としていた媒体は、本当に「真実」を私たちに伝えてくれたのだろうか。

もしこれが、イデオロギーの問題だけで片付くのであれば、事態は簡単である。文芸誌や専門誌を読み、自分が納得いく「世界」を信じればいいのである。

しかし、残念なことに私たちは「ベッドタウン」を故郷にしてしまった。今更「政府」というわかりやすい敵を相手にすればいいのだろうか、「商業主義」から逃れて隠遁生活をすればいいのだろうか、それとも古典古代の時代に理想を見つけて「教養主義」のスノッブになればいいのだろうか。

私は、ココが好きだ。ココには友達もいて、家族もいて、昔好きだった女の子もいたりして。
出世したいわけでもない。マクドナルドも嫌いではない。何も知らない、小市民でいい。

そういえば小さい頃、「ドラゴンボール」の「孫悟空」に憧れていた。そうそう、映画館に「スターウォーズ」を見に行った。アメリカでのテロ事件(9.11)のことは、まだ覚えている。

……私たちには、一体どんな「イメージ」が刻まれているのか。それを知り合い・関係者に尋ねてみた。