2009年5月6日水曜日

対談:山本美緒⑤

■オン・ザ・ボーダー
よ:でもね、これは作為がまったくない方がいいってことではないと思うんです。たとえば恋愛の場合「ああ、俺はあの子のことが好きなんだ」って自己陶酔的になっていくほうが楽しいと思うんですよ。
山:そうそう、絶対それはそう。
よ:自然に好きになるっていうよりも、作為的に自己催眠的に恋をしている方がね。
山:そうそうそう。
よ:だから作為っていうのは必ずしも悪いことじゃない。だからお客さんと共犯関係をいかに結ぶのか、ってことが大切だと思うんです。僕の即興劇はなるべくお客さんにルールをオープンにする。演じている最中に「○○風に」っていう紙を引くんですね。たとえば「歌舞伎風」とか「ジョジョ風」とか。でも、あらすじは事前に決めておかないとグダグダになってしまう。俳優が洗練されていないと、面白くないんですよね。
山:それは俳優が思う「歌舞伎風」でいいわけ?
よ:そうそうそう、それでいい。俳優が勝手に思っている「ぽさ」だけでいいと思っているんですよ。歌舞伎に見えなくても、本人が歌舞伎っぽいと思っていればそれでいい。僕がやろうとしているのはドリフみたいなことなんですけどね。やっぱり、茶番ですね(笑)。でも、個人史が見えなきゃ面白くない。即興でやっていても、個人史が見えない人もいる。だから僕は生身がいいとは思わないし。パーソナリティって言ってもいいんだけども。
山:それは作られたものであってもいい?
よ:うん、それでいい。そこからしか切り取れないと思っています。「私ってなんだろう」ってつき詰まっていくと、「私ってなんでもない」ってことになってしまう。だから仮初のものでいいから、作業仮説としての「私」がないといけない。だから、演じる上でもパーソナリティを作為的に作ってもいい。ただ、そこに真実味があるかどうかなんですよ。でも本来、演劇っていうのはテクストが歴史を背負うべきなんだけど今の日本の演劇市場では歴史を背負っていない。だから俳優や作家が個人史を背負わなくてはならない。それは、日本の演劇環境の脆弱さだと思うんです。制度が必要だと思うんです、お客さんがある物語を知っているとか、そういう状態。でも、今はない。
山:確かに「片思いの女の子に会いにフランスに行く演出家」ってだけで、ある物語は生まれてくるよね(笑)。
よ:そうそうそう。オンザボーダー。現実でも虚構でもないってところで言うと、「幽玄の美」なんですよね。現実とか虚構ってものを乗り越えていくのが「幽玄の美」なんだよね。そこで僕が踏み込みたいのが、感性のことなんだよ。何をもって、僕たちが幽玄の美にいけるのか、オンザボーダーに立てるのか。何がそれなのかを追求していきたい。
山:うーん、確かに。それって、なんだろう。
中:なんなんでしょうか。
よ:「あとは、イベント当日を楽しみに」ってこと?
山:まあ、そうだね。
中:答えが今ここで、出るってことはありませんよ。
よ:じゃあ当日、作品をお楽しみに(笑)。ありがとうございました。