2009年5月6日水曜日

対談:山本美緒④

■ルール、作為、意図
山:確かにクローズドになっているほうが面白いですね。
よ:そうか。僕の即興劇の場合は、お客さんにルールをオープンにして、そうした場で俳優が何をするかを見せようと思っているんです。
山:そのほうが見やすいとは思いますね。
よ:じゃあルールを閉じることの良さは何ですか?
山:ルールが垣間見える瞬間ですかね。
よ:それって、お話の筋はもういらないですよね。
山:いらないですね。
よ:筋のないものでもいい? ピナはありますけど。僕なんかチェルフィッチュを見て面白いと思えるのって、教養があるからだと思うんです。
山:そうかなあ。特異な身体を表出するためにルールを使うってことはありませんか?
よ:なるほど。
山:奇抜な身体だけが特異な身体とは言えないわけですよね。だから、感動的に見えたというこの経験を舞台に再現するということが方法ですよ。私は自分が見たいものを舞台上に上げたいと思うんです。
よ:じゃあ、自分が見た・経験したことを再現するために何かしらの措置が必要だと?
山:イメージを生み出すために、どういう仕掛けをしていけばいいのか、ということですね。
よ:僕はその仕掛けを強調線と呼んでいるんですが、その強調線ってどういうときに生まれますか? パフォーマー側にあるのか、観客にゆだねられているのか。強調線はどこにあるのか。さっきの話に戻せば、なぜおばちゃんを見てイメージが沸いてしまったのか?
山:ルールが閉じられているからだと思うんですよね。その場合は「偶然」ってことですね。他には台風が来たときに、電車が止まってしまって、みんな降りなくちゃいけなかった。そのときにパン屋に行ったんですけど、向かいの席が満席だったんですね。いつもはガラガラの席がそのときは満席だった。窓越しに見えたその風景は、すごく劇的でしたね。
よ:でも、そこにお金は払わないですよね。当たり前ですけど。これを劇場に持ち込めないんですよね。
山:そうですよねそれが課題なんですよ。作為なし、っていう。最低限の薄い作為で舞台上で人を動かして作品を作るっていうのに興味がありますね。舞台上にいる人たちのその場その場の判断、体調-化粧のノリが悪いとか-そういうのをひっくるめて「作品」という枠でくくるってことをしたいんです。
よ:やっぱり物語はないほうがいい?
山:今の興味としては、ないほうがいいですね。あってもいいんですが、わからない程度の物語がいいですね。