2010年5月3日月曜日

2010/05/02八広、南千住


2010年5月2日、深夜に中堀君と一緒に荒川を経由して「八広」「南千住」に行く。

「八広」は東京都墨田区東墨田にある、下町である。近くには向島があり、零細工場が立ち並ぶ。
私たちが家城としている「田端」「尾久」周辺とはまた違った雰囲気があるのだが、調べてみるとそれは「川沿い」が影響しているのではないかと考えられる。

日本の川は増水すると氾濫する。ヨーロッパと異なり、川が荒れると町がひとつ潰れかねない環境である。
八広は、まさに川に面しており増水したときには真っ先に犠牲になってしまうような場所である。東京には、ほかに足立区も似たような境遇にさらされているが、そうした町の地価は安価なのである。

八広周辺の商店街はうらぶれており、何十年か前にタイムスリップしたようであった。実際にもう既に使われていない家屋や工場が見受けられる。

また、商店街に活気がないのと同様に駅前にも商店はなく、活気はない。住宅地であることは確かなのだが練馬や武蔵野市のような住宅地と違うのは集合住宅が多いところである。


八広から延々自転車を漕いでいくと南千住に当たる。この「集合住宅」は南千住に来て圧倒的なスケールを私たちに現前させる。

「住宅地」と言えば聞こえはいいが、そこに人が生活している痕跡が見えない。南千住は駅前の開発が盛んで、駅前にはファストフード店があり、華やいで見えるが、いかにも文脈なしに取ってつけたような感じがして、そこに「生活」という空気を感じないのである。

この風景は私たちに、ある人生を連想させる。

例えば、ここで生まれ育った人は何を媒体に「世界」とつながるきっかけを持つのだろう。それは「勉強をする」ことかもしれないし「テレビを見る」ことかもしれない。もしくは「外出する」ということなのかもしれないが、その人が「世界」を「所有」する日は、いつ来るのだろうかと思う。

彼らにとって、六本木はいつも「市街地」であり、教科書は「歴史」なのかもしれない。芸能人は「憧れの存在」で、さてそこに「私」はどこにいるのだろうか。

「私」がいなくなってしまった時、一緒に住んでいる両親や、近くにいる友達は、「私」と一体どんな関係を取り結べるというのだろう。テレビや漫画で見たことのある「家族像」や「友人像」を投げかけて、ステレオタイプな関係に陥ってしまってはいないだろうか。

もしも、この南千住に特有の香りがあれば、文化や生活は所有できるかもしれない。しかし「個性がないという個性」の中では、私たちは言葉(イメージ、観念)以外に何を家族・友人に与えられるだろう。


さて、私(よこたたかお)もまた、そうしたオリジナルなき街に生まれ育った。中堀徹も「つくば」という管理されたニュータウンに生まれ育った。

この南千住の風景は、悲しいかな私たちに、ある「郷愁」を与えるのである。

それがジャンクで、貧困な文化・生活しか持っていないことはわかっていても、私たちは「これがリアルだ」と思ってしまう。

私たちは新たなユートピアを立ち上げるほか、仕様がないのだろうか。それとも、この風景を背負って先へ進まなければならないのだろうか。

私たちは生きている。だが、人間として、本当に? 人間として生きるためにできることはあるのだろうか。それともこの「生」をこそ、「人間だ」と呼ぶべきなのだろうか。

ココにいては、わからない。いち早く脱出しなくては。