2009年5月6日水曜日

対談:山本美緒③

■特異な身体
よ:そういえば、昨日「たまたま」(※大木裕之主催。会場:武蔵小金井アートランド)に参加したときはどうだった?
中:昨日は特異な身体をまさに見せ付けられまして。40歳くらいのアニメーション作家の人がライブペインティングをするんですよ。それで、壁に絵の具を殴りつけたりして。用意していた紙がなくなってしまうくらいにやっていて。壁に絵の具を塗るもんだからスペースの壁も塗り替えなくちゃいけなくなって。あと、インクを口に含んで吐くとか、とにかく水とか絵の具が飛び散りまくっていて。その時、石田さんの目がイっちゃってて。詩人の松井茂さんと共演していたんですけど、松井さんは最初からやる気なくなっていて。石田さんが松井さんが読んでいる傍から目を見開いていて。松井さんの体にペンキをかけるって。……めちゃくちゃやるっていうのは誰にでもできそうだけど、それが圧倒的で。空気が変わっていまして。
よ:「身体」ってことで言えば、僕は前作(※「ブルーバード・オブ・スーパーフラット」3-4月上演)で見誤っていたんですけど、体から出る情報って言葉を簡単に圧倒しちゃうんですよね。前回はニコニコ動画のネタを利用して即興的に演じるというシーンを作ったんですが、その体から出る情報が強すぎちゃってネタが見えるというよりももはや暴力に感じてしまったんですよね。僕はそれは整理すべきだと思うんですよ。たとえば、俳優が太っていたり、体臭がしたりとか、そういうのがないと俳優じゃないのか? って思う。体ってのはあまりに自然すぎちゃって、ある程度統率して整理していかなくちゃいけないなって思ったんですよ。
山:私は、一体何が身体をより良く見せるのかってことを考えていますね。
よ:体を、表現に耐えうる体にするためには規制やルールは必要だと思うんです。たとえば、「からだ」に重きを置いちゃうと、島田洋七ががばいばあちゃんという物語を背負って講演会をすればいいっていう話になってしまうんですよ。だからバレエなんかは、個人が物語を背負えるように体を鍛えてきたと思うんですよね。物語を獲得するための方法論はないわけじゃないと思うんです。
中:でも石田さんが奇抜っていうんじゃなくて、一見普通の人なんだけど、それを超えて「やばいな」って感じる瞬間があった。普通の人間としてそこにいるという関係と、非日常的にそこにいると見える瞬間がある。予期せず物を壊してしまうとか、そういう瞬間に非日常的になってくる。それを行ったり来たりというのがあった。ずっと向こうの世界にいるわけじゃない。そこにスリルがある。
よ:それはどういうこと?
中:演じようと思って見せるところ、意図が見えているうちは面白くない。そこで起きているものが石田さんの感情や個人史が重なって見えたときに劇的に見えるってことじゃないですか?
よ:なるほど。個人史のレベルで考えると、ダムタイプなんかは上手くやった。古橋悌二がエイズでホモセクシャルで。でもそれは「ガンを乗り越えた俳優が」ってことでもいいんですよね。
中:でも、古橋悌二がエイズだから「S/N」が芸術だったわけじゃないですよね。
よ:そうだね。
中:あれは古橋悌二だけじゃなくて相対化する象徴的な人を使ったりすることでアレックス、ピーター、ブブさん。それぞれの個人史を象徴的に見えるようにしている。古橋悌二だけじゃない。
よ:それじゃあ、構成の上手さが作品の強度になるってこと?
中:構成だけじゃなくて、見ている人の個人史だったり、架空の人の個人史までも背負える雰囲気があって。それがよかった。
よ:あー、そうか。それこそ「オン・ザ・ボーダー」なわけか。
中:作為や意図が見えてしまうと、冷めてしまいますよね。
山:うんうんうん。
中:作為を見せないために、いかにルールを閉じるかってことだと思うんです。