2009年5月5日火曜日

対談:中堀徹③

(対談:中堀徹③)
■一回性の美学
よ:でもさ、これって次の問題としてはお客さんに一回性の良さを理解してもらわなきゃいけないんだよね。
中:そうですね。遠藤一郎さん(※現代美術作家。ライブペインティングなどを積極的に行う)のパフォーマンスなんかは、僕にとっては一回性じゃなくて再現に見えちゃうんですよ。どんなに激しくパフォーマンスしようがうそ臭く見えてしまう。けど「たまたま」の石田さんの場合はぎこちなさも含めて、あの場でしか起こりえなかったということを感じる。そこに一回性がある。
よ:俺の考えだとね、日本の芸術は一回性に重きをおいてきたと思うんだよね。西洋は普遍ってことを求めたんだけど西洋においても現代は一回性を強調し始めた。日本の芸術には蓄積があるわけだから、そこから学ぶということがあってもいいはずなんだよ。
中:能は特にそうですね。僕が思うのは、映画『スターウォーズ』の冒頭のテロップで「ここに宇宙がある、その宇宙の中の一つの物語です」と提出してくるんですよね。観客は「宇宙」を見せ付けられることで、立場が不安定になる。けれどこれから、ある一つの物語を見るんだっていうところに儚さを感じることができると思うんです。能なんて、僕が見るとすごくそう感じるんですね。松の木は一応あるわけだけど「どこでもない空間」というものにすごく見える。
よ:確かにそれはそうなんだけど、俺の解釈だと、能というのは「どこでもない空間」じゃなくて、空間を作る完成度が高いということだと思うんだよ。スターウォーズでいうところの「宇宙」を見せるクオリティがすごく高い。
中:菊地成孔(※ジャズ演奏家。作曲家)がモードをテーマにしたCDがあるんですけど、何も尺八とかを使わずともそこで日本を表現できるんじゃないかって試みているんですよ。「花と水」(※ジャズアルバム。2009年発売)というタイトルなんですけど、モード的な感性がそもそも日本的なんじゃないかってことで作っている。そのイメージは秀逸だなと思ったんですよ。ジャズとはそういうものだし、日本の感性はそういうところがあると思った。西洋の花っていうのは、絶対に枯れない花にしちゃう。でも日本の場合はかれるからこそ美しいと言える。滅び行くものへの感性、絶対がないという絶対性という感性。これがすごいと思う。