2009年5月5日火曜日

対談:中堀徹①

(対談:中堀徹①)
■「ブルーバード」の合間に……
よ:2009年の『火の鳥』から中堀君が、俺のクリエイションに参加してくれるようになってね、すごく方法論に関する意見を交わしてきたと思うんだよ。それで、今回はせっかくだから今まで話してきたことをまとめて文章に起こしていきたいと思ったんだよね。
中:そうですね。
よ:たとえば2010年の『ブルーバード・オブ・スーパーフラット』(収録時は公演中、以下「ブルーバード」)のクリエイションの最初は「ノイズ」ということから始めたね。ノイズについてはすぐに決着がついた。ノイズというのは雑音ではなく、コードを外れていくことだっていうこと。たとえば「メルツバウ」(※秋田昌美が主催するノイズユニット)が雑音だとしたら、「大友良英」(現代音楽家。ギタリスト、ターンテーブル奏者)や「クリスチャン・マークレー」(※現代音楽家。ターンテーブル奏者のパイオニア)がコードから離れる音楽で、むしろ後者がノイジーに聞こえるというところまできた。演劇においても、俳優が単に暴れるよりもコードから逸脱していくほうが面白く見れるということがわかった。これは当たり前のことと言えば当たり前のことなんだけど、『火の鳥』で達成できなかったので、『ブルーバード』においては、ここからクリエイションが始まった。そして稽古が始まってから、議論はミニマルへと向かい始めた。説明を加えると、クラシック音楽は読みを強制するような音楽なのに対し、ミニマルは観客が自由にイメージを連想することができる。そのほうが僕らの感性にしっくりくるということだったね。
中:そうですね。
よ:僕らの感性というのは、とあるコードを強制されるよりもある単音を聞いたらコードを連想するような身体感覚になっている。だからミニマルミュージックのほうが心地よく感じられる。それが方法論としてはモードなんだってところに行き着いたのが、今だね。ラ・グロットからDress Akiba Hallに向かうこの過程。『ブルーバード』のラストシーンをラ・グロットから変えたんだけど、それは今まで劇中で出てきた言葉を構成して作ろうと思ったんだよ。今まではニコ動合戦(※俳優がニコニコ動画のネタを使って即興的にシーンを作る)をノイズ的に処理してきたわけ。言葉を音素やリズムに還元して、そこでコミュニケーションを取っていく。それでノイズを作ろうという魂胆だったんだけど、失敗だったんだよ。
中:失敗だったんですか?
よ:そう、身体が暴徒化してしまったんだよね。盛り上がったり、盛り下がったりはするんだけど、それが何を意味するのかまではいけなかった。それが失敗だった。だからモード進行にしようと思ったんだよね。劇とのイメージが分断されないように今まで出てきたテクストを使おうと思ったんだよ。そうしたら、身体から出てくる情報に意味が与えられるし身体を制御できるんじゃないかと思ったんだよ。というか、必ずしもノイズ的であればいいわけじゃないな、と。だから、今回はモードチェンジの方法とかそれを受け入れる感性について考えていきたいんだけど……